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物珍しさから初投稿

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http://mainichi.jp/life/edu/news/20080722ddm002100096000c.html

↑ 子どもとゲーム/1 肌身離さず、生活一変


目に付いたニュース

僕も大学の喫茶でモンハンやっている身なので、偉そうなことは言えないが

小学生の弟を見ていると、ゲームが子供に密着しすぎている感はする。

なにせゲームは高価だ。子供の遊びにトラブルは付き物だが、ゲームがらみだと面倒なことになる。

反面、ゲームを持っていることで、交友関係にアドバンテージを持たせている面もあるかもしれない。


けれど、「やることがないから、(ゲームを)やってる感じ」という言葉が、不思議と重い。

本来、やりたくてやるものであるべきなんだけど、やらざるを得ない状況(孤独だったり逃避だったり)は

本人の力だけではどうすることもできないのかもしれない。


ゲームを槍玉に挙げるのは大人なのだが

ゲームを子供に買い与えるのも、また大人で

最近は本気で憂いている親も多い。(ウチの親もわりとそう)

「ゲーム脳」を批判したと思えば、脳力開発と称したゲームが流行ったり

大人はわりと真剣に、ゲームの扱いに困っているのかもしれない。

ゲームで育った世代が親になって

子供とゲームに没頭する世の中も、それはそれでイヤなものがあるけれど


仲間内の誰かの部屋に集まって、夜通しモンハンやるっていう状況は

ツールが変わっただけで、交流活動の一つだと思いたい。

自分がゲームに手を染めている限り、できうるだけ肯定したいしね。

ゲームがきっかけでできた友達を、薄っぺらだと言うのは容易いんだけれど

公園に行っても、バット振ってボールを追いかけてる子供が少ない世相では

それも一つの出会いだと思いたい。いや、決して消去法的な意味ではなく。

投稿者 rw7u9x | 返信 (0) | トラックバック (0)

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