どんな人も、他人の言葉で自分の言葉を練り上げる工程があるはず。たとえば「受け売り」もその一つ。
どのような「他人の言葉」を取り入れたか、それが個性であり、「自分の言葉」を作るんじゃないかな。
それは確かに同意です。
個性があっても、それを語る言葉は外から取り入れなきゃならないですしね。
ただ、今のウェブを見ていると、他人の言葉を取り入れる「個性」そのものが危うくなっているような気もします。
「物があふれているのに心が満たされない」と誰もが口にしながら、そこから一歩も進めないのはなぜなのか。それは現在の資本主義がまさにその不満を搾取するからである。「本当の自分」「私らしさ」を求めようとすれば、市場はすかさず「あなただけの」「特別な」商品を提示してくる。このような消費、欲望の規格化を繰り返すうちに、その人の市場での位置も価値も定まり、やがて同じような嗜好を持つ者同士の自閉的な、自己批判能力に欠けたグループがあちこちにできあがる。それはもはや「われわれ」と呼べるような共同体——特異な「私」たちの拮抗によってダイナミックに姿を変えていけるような集団ではない。
『象徴の貧困』(新評論:図書目録)
格差社会や成果主義の結果、朝の電車内では日経新聞と「出来る人間の仕事術」のような本を読んでいるサラリーマンが増えている。
個人の多様性が尊重されながら、その背後では社会的淘汰圧の中で個人を容赦なく比較する。
特にウェブ。
今、先進国では物余りの時代だという。多様化の時代ともいわれる。基本的な物質的欲求が満たされ始めたため、人々のニーズは多様化し、マスプロダクションで生産されたものは売れなくなってきているのだ。人々は物を買うという行為の中でも、自分らしさを追求し始めた。自分らしさを表現し始めたということだ。
爆発するソーシャルメディア: 第4章爆発するクリエイティビィティ
↑では、Web2.0といわれる昨今においては、全ての人間がその創造性を発展させ、自己表現を行うと言ってますが、それはひっくり返せばそうした「自己表現をしたがる事」自体が、作られた「象徴」としてある種の「流行」になってしまっています。
流行を嫌う人間は、現実社会にもウェブにも矜持を持って存在することが出来なくなりつつあるのではないか、という危惧が自分にはあります。